日々の泡(日常雑記)

there,there 2011

午後にキャンプから帰ってくるこどもを迎えがてら、恒例と?なっている築地に出かける。

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  朝早い時間ならそれほど混んではいない。卵焼きや蒲鉾、帆立煮、カズノコなどを買う。何度もうろうろして安くて手頃なものを吟味して買う。7時には余裕で通れた路地も8時前には日曜日の竹下通りくらいになる。さっきは並ばずに変えた卵焼にも40人ほど並んでいる。合鴨は激混み。


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  この時間から売り出されるまぐろの切り落としや焼き豚などの目玉商品にはまるでコンサートの開演を待つようにすでに列ができていて、毎年のことだけど気持ちも萎えて買いそびれる。


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  朝早く出てきておなかもすいたので、場内へ移動し魚河岸横丁をのぞくが、こちらはこちらで混んでいる。では「あたまライス」でも食おうかと「豊ちゃん」に行くが、こちらもTV番組で再三取り上げられたこともあって行列。これも毎年のこと。
朝から「きつねや」でルービーとホルモンっていうのも何だかなあ・・・・。やめておこう。


   結局いつものように「中栄」に入り、500円のインドカレーを食べる。なんてことの無いカレーで、きっと落ち着いて食べたら大して美味しくも無いカレーなんだと思うけど、年末のこのあわただしさの中でぱくつくと妙にうまい。山盛りのキャベツに甘めのソースをたっぷりかけて、辛口のカレーとごはんと一緒にかきこむ。50円の味噌汁も朝の体に沁みる。何よりここは接客が気持ち良い。ここの親父は素晴らしい。



   スムーズに買い物も済んだのでぶらぶらと朝早い銀座を歩く。東京で一番好きな街だ。スターファッカーズで珈琲を飲む。



  12月はそれにしても呑み過ぎた。お気に入りの店総仕上げといった趣。蒲田「鳥万」、船橋「加賀屋」「一平」、上野「大統領」「大山」、立石「宇ち多」、大宮「かしら屋」「日高」「いづみや」、有楽町「登運とん」、野毛「福田フライ」「山陽」、住吉「山城屋」、錦糸町「三四郎」。
「尾花」の鰻もうまかった。浅草のババアの店もひっそりしていて温かくて沁みたよな。塩原温泉も楽しかったし、大塚での日本酒も忘れ難い。クリスマスの横浜もきれいだった。
 素敵な思い出がその夜の空気と一緒になってよみがえってくる。さる人に言われたけど、ホント、いろいろ楽しんでるよな、なんだかんだ言って。


   今年の呑み収めはいつもの銀座「三州屋」。ビール中瓶と鳥豆腐,帆立フライ。まったりと呑む。


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   今年もいろんなことがありました。いや、ホントに。年明けすぐに氷点下25度のソウルに行ったのだったな。ちょっと遠い出来事の様にも思える。でもあの寒さとともにいつでも思い出せる。
 
 震災という大変なこともあったけど、2011年は個人的に忘れがたい年になったと感じる。



どんな時でも「それを最大に楽しめる、忘れ難いものにできる自分でいる」ようにこれからも生きて行こう。人生にとって大事なことはそういうことなんじゃないかと思っている。



有楽町のアンテナショップや「伊東屋」、ちょっと移動して「八重洲BC」、「100%チョコレート」などを覗きながら時間をつぶし、元気に帰ってくるこどもを迎える。年の瀬の空はいつでもなんだか高くて青くて気持ちがいい。


このブログもこれにて終了。長い間ご愛読ありがとうございました。



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     リフレクション
     畠山 美由紀 (ここ数年で一番聴いてる作品)


 


 


 


 



   さて、いよいよ2011年もおしまい。2012年もいくつか楽しい予定もあり。楽しいだけの一年にしよう。今年同様、きっと忘れられない年になりそうな気がする。

 一足お先に失礼。まだ休みじゃない!という方、すみません。でもぎりぎりまで働くのもそれはそれで充実してるじゃないですか。(と、最後まで黒く。でも書店時代も大みそかの蕎麦屋で働いていた時もそう感じたのは事実)とりあえず皆様、健康には留意して、来年も遊びましょう。また遊んでください。

限りある人生、できるだけ笑って生き抜きましょう!


DON'T TRUST OVER 30

ふりかえるな、過去には夢が無い。

 

そう言ったのは寺山修司だったか。

 

しかしながら、そもそもこうしたブログなんてもんは「終わったこと」であれば美化しようが客観的な分析だろうが何だろうが、とりあえず済んだことゆえ気楽に書けるというもので、また書いてゆくうちに自分自身が「そのこと」や「あのこと」を整理し直せるという利点もある。本当のことは書いている自分自身にしかわからないことで、そのあたりの演出も含めて表に出せることだけを出すことができる。それらは終わったことゆえに多分それ以上変質しないものだと思うので。

 

 翻って、現状起こっていることなどは書けるものではない。そりゃ言いたいことも書きたいことも山ほどあるけど、そんなことできないし、したくない。それらに対する自分の評価査定が固まってないこともあるし、まだ途上ゆえ今後どう転ぶかもわからないことだらけだから。また関わる人に対しても影響力を行使するかもしれないので、できるだけ避ける。不毛な論争もしたくない。

 

実は今までも現在進行形で起こっていたようなこと、たとえばどこかの呑み屋に行ったなんてレベルの話まで、極力事柄が特定されないように配慮したつもり。時々は筆がすべってしまったこともあったかもしれないが。

 

というような気遣いをしながら続けてきたこのブログもいよいよ終幕。

  大阪での書店時代、それから東京に出てきてからのいろんな出来事。いろんな意見はあると思うけど、こうして継続して書き続けてきたことで、ひとつだけ言えるのはこれ自体が記録になってるなあ、と思うことくらい。佐原営業の辛さとか、年数が経つにつれ変わってゆく仕事への意識などはわずか数年前に自分が書いたことだけど「へえ」とか思ってしまう。ありきたりな言葉で言えば成長したのか妥協したのかわからないけど、別の地点にはたどり着いてるようだ。韓国での思い出もなかなか貴重な記録となってゆくことだろう。 



  ともだちと行った呑み屋のことなどは読み返すだけでその夜の空気までもがよみがえる。たとえばいつか東京を離れるような日が来た時、結構大切な思い出として残りそうな気がする。

  こどもとのことも将来きっと懐かしく思い返せることだろう。

  自分の手元には「読まれることを意識して書いた日記+自分だけが知っている事実」として残るわけだし。変な理屈だけど、パブリックな部分を読んでも俺だけが本当のことを知っている的な「邪悪な楽しみ方」もできる。(ホント、性格悪いな)

 

 いろいろ言いたいことだけ言う割に何もしていないような人が多い中、まあこんなことでも地道に続けてきたことくらいはとりえなんだろうな。

  ホント、疲れる奴多いよね。自意識過剰な馬鹿(思考マッチョ)が一番嫌いだ、俺。おっと・・・黒過ぎたか。こういうことを書かないんだったわ。え?俺がそうだって?違うね。


  来年は海外にちょっと行ってこようと思っているし、懸案の九州方面もある。映画も芝居も本も漫画も、そして既にお気づきかもしれないが実は僕がマジでこだわりを持つ2大ジャンルの、音楽と食べ物についてもいくらでもネタはある。

絢爛たる笑止千万な「終わったこと」ネタも数知れず。


 

まあ こっそり書きためていくことにするか。何しろ過去の夢は「山小屋で暮らす物書き」だからな。地道ではあったけどいい訓練にはなっただろう。

 

だから、振り返った時につかむ夢だってあるんじゃないのかな、と思考マッチョじゃない僕は思うんだよね。


 

とりあえず、僕が好きな皆さん、いいお正月を。

そうでもない人はどうぞご勝手に。


   あ、これアップされてる頃はきっと最後の忘年会の真っ最中かと。


    
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   FILM  OF  LIFE

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Have Yourself A Merry Little Christmas In Yokohama


横浜に遊びに行ってきた。


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カップヌードルミュージアム、赤レンガ倉庫、コスモワールド、みなとみらい。

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みなとみらいはふだん営業でも来ており、なじみの担当さんからいろいろ情報もゲット。

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朝の9時から夜の7時過ぎまで遊び倒し、大変疲れたけど、非常に楽しい一日でした。


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まあ、言葉は少なく、ひたすらこの時期のみなとみらいの風景をお楽しみください。


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       Have yourself   A  Merry  Little  Christmas

                                                           Babyface     
    
              

手袋を探す

 生きる目的を見失ったり、あるいは日々に疲れたりしたら、どこにいくんだろう。

  時々そんなことを考える。

 

どこに行っても過剰な自意識に変わりはないし、また、自分に変化を求めないのであればそもそもどこにいかなくてもいい。場所が変わり、生活が変わり、でも何よりそこで自分を変えようとすることが変わることの意味なので、「どこかに行く」ということは条件のひとつでしかない。


 

それでも「どこかにもっと楽しいことがあるのだ」「あそこに行ければ自分は望んでいた暮らしのいくばくかは手に入れられるのだ」「もっと、もっと、もっと、強く生きたい。もっと、もっと、おもしろいものがあるのだ」・・・そんなふうに思い続けることのどこがいけないのだ、と思う。


 

生まれた時からそんなふうな性分なのだから、自分が付き会わなきゃならない。何もかもがうまくいかなくても、どんなにバカげたことをしても、あるいはどんなに厳しい日々だったり、おもしろくもなんともない毎日だったとしても、自分だけは付き合わなくてはいけない。まわりから人が離れていこうとも。


 

すべての終わりはすべての始まり。


 

22歳の頃、向田邦子の書いたささいなエッセィに、とてつもない影響を受けた。

  それは「手袋を探す」という、向田さんが22歳の頃のことを書いたもので、投稿先がPHPという雑誌だったこともあって、今読めばずいぶん啓発的な内容のように感じる。

  けれど22歳の僕はまさにこの文章の中の向田さんのように「手袋を探す」決意をしていたわけで、「ここに味方がいた!」というような気分になって、嬉しくて、今すぐ向田さんに会いにいって・・と思ったが、向田さんはもはや帰らぬ人となっておられた。


 

そういえば学生の頃は大嫌いだった「北の国から」が沁みるようになってきたのはもう30歳あたりになったころだったか。

  もともと倉本聡は「前略おふくろ様」や「祭り囃子が聞こえる」などで好きだったのに、今度の倉本はガキを使って説教臭いドラマを作るのだと、堕落したもんだとかなんとかいって、見ない側にまわったものだ。




 ところが30歳を越えて、自分自身も転職や家族の問題、おざなりの恋愛の挫折なんぞを経て、何の気なしにみた「北の国から 初恋」と「83夏」で、涙がとまらなくなってしまった。純や蛍にではなく、五郎に思い切り感情移入してしまったのだ。五郎もまた、自分なりのやり方でもがいていて、それがとても沁みたのと、それでも強く生きていく知恵や意思、技術、覚悟を確実に身につけてゆく。その凄さに、心打たれたのだ。

 

手袋を探すのと、五郎のように強く生きていくことは、合わせ鏡のようなことなのだ。今の僕に、これからの僕に、それができるのだろうか。

 


「手袋を探す」は向田さんがくしくも今の僕と同じくらいの年齢の時に書かれた文章であり、それは僕自身も日々思っていることだが、このくらいの年齢で過去の自分ときちんと向き合うことは大切だということを教えてくれる。

 

いまの私にも不満はあります。

年とともに、用心深くずるくなっている自分への腹立ち。

心ははやっても体のついてゆかない苛立ち。

いろんなことをやりたい、とお題目にとなえながら、

地道な努力をしない怠け者の自分に対する軽蔑。

そして、貧しい才能のひけ目。

でも、たったひとつの私の財産といえるのは、

いまだに「手袋を探している」ということなのです。


 

はらだみずきさんの「スパイクを買いに」もまた、再生の物語だ。


 何かを始めることが、いつでもいいことではない、と書いてある。これもまた誠実な言葉だと思う。若いうちでなければはじまらない物語のほうが圧倒的に多いのも事実だから。でも氏が言うように、その人にとって、そのことが探していたことのひとつであったのなら、どこからだって始めることができるのだと、僕もそう信じたい。

 


  何と言われようと、いつまでも僕は青臭く。

手袋を探す。

 

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 TAKURO YOSIDA

    RYUSEI

 

Winter Wonderland

 こどものスキーウェアを買いに神田まで出かける。

  めざすは激安・ロンドンスポーツ。日々成長しているこどものことだから買い替えること前提。とりあえずちゃんとしたメーカー品で安ければいい。


  店に着いてわずか10分。あっという間に買い物終了。メーカー純正のスノーウェア上下揃い、水色のきれいなウェアが正価19800円のところが9800円、さらに本日は半額セール中ということで4900円だって。何なんだ、ロンドンスポーツ。


  割とひんぱんに前を通るけど、いつでも半額セールやってるし。あまりに早く買い物が済んでしまったのでランニングシューズなんぞを見る。笑うなあ。4800円のシューズが2400円、さらに半額で1200円になってる。ホント、安いな。



  とりあえず今日はこれだけが目的だし、ちょっと風邪気味だから昼ごはん食べて帰ろうということになり、小諸そばに向かうも日曜日って休みなのね。まあ僕はほぼ毎日食べてるからいいのだが、こどもがここの「小梅食べ放題」が好きなのね。しかたがないので小川町の角の讃岐うどん屋さんで。生姜をたっぷり載せ、体を温める。


  空がきれいで、富士山もスカイツリーもよく見えた。


  買い物もうまくいったし、お昼も安く上がったし、かみさんがおやつをふんぱつしてくれた。何年振りかの、歌うアイスクリーム店。こどもとかみさんは時々こっそり?食べてるらしい。こういうところのアイスとくればチョコミントなんだな。やや僕には甘かった。


 

街は早くもクリスマス一色。

  毎年のことだが、この季節は何かわくわくするものがあるなあ。

 とりあえず風邪ひかないように、来週もさ来週も仕事追い込みだから頑張らないとな。

 

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     Let It Snow

             Bing Crosby

 

 

NIGHT SWIMMING

夜、仕事帰りにジムに寄って、汗を流す快感にはまっている。

 

とはいえもちろん毎日行けるわけではない。相変わらず呑みに行ったりする予定は入っているし、時にはひとりで新しい店も開拓したい。昼間の仕事が大変で疲れきってしまうこともある。

 

一応「今日は行けそうかな」という日、出勤前に駅前のジムに寄って、トレーニング用の荷物を預けてしまう。そうすれば余計な荷物を持って出勤することもないし、営業先に直行できたりもする。結果行けなかった場合は帰りにピックアップすればいいだけの話。真夜中まで営業しているから、だいたい回収できる。

 

毎回血圧と体重を量り、それを記録していくと、呑みが3日続いただけで体重が増えているのがわかる。最近は自分なりに修復するやり方もわかってきたので、それを実行すると、一週間のうちに増えた分は戻り、少し割り込むくらいで次の週に臨めるようになってきた。ここで酒もやめれば減る一方なのだが、それが難しくて・・・。

 

汗を激しくかけばいいというものでもなく、トレーナーに言われてる数値に近い心拍数周辺での運動がもっとも脂肪を燃焼させ、体重も落とせるということなので、その数値をキープしつつ有酸素運動、ストレッチなどをする。特にストレッチは気持ちいい。 

 

 我ながら長続きしないかななんて考えていたけど、もう4カ月目。目標と進行状況が数値化されるのがどうも性分に合っていたようで、とりあえず目標の体重20キロ減を目指す。今のところ、7キロは落とした。そこまでは順調だったが、そこで停滞。毎年夏場は絞れるが、秋から冬のリバウンドがあるのだ。例年は元に戻ってしまうのが今年は落ちたまま維持しているというのが最大の違いなのだが、次のゾーンへ移行できずにいる。


  ストレッチのあとマシンを使った筋トレをするのだが、そこまでで1時間くらいやっているから、疲れてしまい「もう今日はあがろう」と思ってしまうもの。しかし、最近の俺は自分に厳しい。充分体内で脂肪が燃焼している、火照った状態で水着に着替え、プールに行くことを課している。体が熱いから確かに水に入ると気持ちいいっていうのも魅力。


  さすがに夜9時とか10時代のプールにはあまり人がいない。これが都心のジムだと若くて綺麗なおねーさんなどもいて華やかな気持ちになったりするのかもしれないが、俺が行ってるジムにはふだんからこどもとばあさんとじいさんとマッチョしかいないようなところだから、そういうおねーさん自体泳いでいるのを見たこともない。ゆえにそういうおねーさん目当てのおにーさんもいないので、本当に独占できる。



  監視員役のコーチがいるだけのプール、ひとりでゆっくり泳いだり、歩いたりする。特に決めているわけではないが、歩きは25メートルを10回ほど。泳ぎはだいたい100メートル(2往復)。俺には結構きつい。調子が良ければ125メートル。ただ、125メートル泳ぐとジムからの帰りあたりにドッと来る。その点俺はまだ若いらしくて、次の日に疲れがまとめて来る、ということはない。


 

これを週に2回やれば2キロ~3キロ落とせることがわかったので、酒呑んで2キロ増えればすぐにこれやってケアする、というわけ。消しゴムみたいなものだ。


  次のゾーンに進むためにはもちろん運動メニューを増やすこと、酒を減らすこと、が必要なのだが、これは表裏一体。酒が過ぎればいっぱい泳ぐ、でプラスマイナスゼロの関係がずっと続く。

  最初に一気に体重が落ちたのはそもそも消しゴムで消してなかった無駄なものをはじめて消したからなんだろう。となればまたここで一気に落とす方法を考えないといけないということだ。やはり食事、ということなんだろう。


  つまり、炭水化物をなるべく摂らないこと。タンパク質は山ほど食べてもいいらしく、寝る前にはむしろ脂分の少ないステーキなどは食べたほうがいいくらい。野菜も糖分を含むものがあるから注意。など、いろいろコツはあるのだが、まずは自分だけで摂る分の食事(つまり昼飯)だけは気をつけていかねば。ああ、大変だ。

 

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  とか言いながら先週、毎日ざる蕎麦じゃ我慢できねえ!と、つい食べてしまったよ、タンメン。

 生姜たっぷり載せ、うまいの何の。リバウンドでしょうか、唐揚げのセットにしてしまった。でももう昔の俺みたいにご飯は頼まないよ。東陽町「トナリ」のタンメン、まあタンメンというより野菜たっぷりラーメンって感じ(流山にも似た味のタンメン出す、おいしいとこあるのよ。でも有名になったら混むから書かない)。たまにはいいさ。あまりに我慢しすぎると辛いだけだから。嫌になってしまうもんね。


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とにかく夜のプールは気持ちいいのだ。何も考えなくていい、というのも心地よいのだ。スポーツの素晴らしいところはまさにそこにある。余計なことを忘れて集中できるということ。


 仕事の疲れとは違う、心地よい疲れに包まれ、シンプルな夕ご飯を食べ、風呂に入ると、ほぼ確実に湯舟で一回は溺れる。

 

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        Night swimming

                       R.E.M

そろそろ店終い。

孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にあるのである。

 

なんぴとも孤立した自己を信じることはできない。信じるにたる自己とは、なにかに支えられた自己である。私たちは、そのなにものかを信じているからこそ、それに支えられた自己を信じるのだ。


 

このブログを始めて、もう何年も経った。「書く」ことが好きだということ、伴走者としてちょうど良かったということ、などが続けていた理由だ。


  誰かに認められたい、わかってほしい、という気持ちを、遠回りに表現するメディアとしても自分なりに利用していたのだと思う。あくまでも遠回り、というところもある種の韜晦だったりもする。


  きわめて率直にいえば孤独を紛らわしていた面もあるんだと思う。孤独といっても人によって感じ方が違う。そこのところの説明もめんどくさい。仲間がいないとか心の許せる話相手がいないとか、そんなレベルの話ではないのだ。あくまでも自己との格闘上でのこと。


  で、実はそういうことが少し辛くなってきた。

  ノーテンキなことをおもしろく書いて笑って、ということに徹することができればまだいいのだけど、そこまで推敲できるほど日々が暇なわけでもない。


  また、今さら「わかってください」も気持ち悪いだろ。好きなように生きているから、そんなふうにも思ってないし。

 

人間はいつまでたっても生きづらい社会の中でどう自己を適応させていくか格闘する生きもので、その自己了解と他者認定の繰り返しで進めていけるようなところがあるものだと思う。


   そうした面をクリアするメディアとしても活用していたんだろうと、自己分析。

  しかしながらそもそも他者認定が装置的に反映されないわけだから、システムとしては破綻している。かといって単純なつぶやきの連鎖がそうだとも思えない。つまりは自己了解のシステムとしてしか機能していないのだと思う。


   情報の連鎖という点に特化できるTwitterのようなメディアはまさにそこに特化することで成立し、魅力的なツールでもあるけれど、今のところ個人的なところでそれを活用する用意が僕には無い。


  ネットワークを広げると孤独が増えるような気がするから、まあそれは僕の個人的な感性で、どうしようもないことなので、このブログのようなメディアがちょうど良かったと思っている。だから今後Twitterfacebookもこれほど継続的につきあうことはないだろう。ずっと人との距離感みたいなところで苦しんできたところもあり、結構ナイーブなんで(ふきださんといてください)、一方通行が楽ちんだったのだ。


  で、その自己了解的な完結のしかたがどうにも辛くなってきた。読む方だってエンタメでない分、愉しいはずもない。


 
ということで、年内をもって、記事の更新は終了しようと思っております。



   前に休止した時は職が変わったので「もしや?」と勘繰る人がいるかもしれないが、そんなことはありません。


   書く、そのものはひっそりと続けていこうかと思ってるけど、表現メディアは模索中。

   年内いっぱい、書き残したこと、書いていこうかな。


   新装開店でまた始めてたりして(笑)。


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       Rain song

                Led Zeppelin

 

 

 

しばし、珈琲ブレイク。

 保険を新しいのに切り替えた。


  いろいろ考えるところあって、結構時間をかけて比較検討し、切り替えた。



   僕らがもう少し歳をとった時、きっと年金はさらに先延ばしにされているだろうし、仕事だっていつまであるのか、退職金だってあてにできるものでもない。とにかく家族を抱えてる以上、自力で最低限でも生活の基盤を確保しておかないといけない。60歳から現金が入る方策を準備。

  とりあえず2本のラインは敷いたが、まだまだ足りない。貯金をしつつ、仕事も確保しつつ、が重要だけど、もう1本ラインを敷けないだろうか、と考え中。

  頭の痛い問題だけど、避けて通れない。かみさんの知恵に基本たよりつつ、自分なりに努力しよう。

 

保険だけではなく、まずは健康第一。まじめにジムにだって通っている。自分で自分をほめよう。

  焼き肉食べてハーゲンダッツ食べても体重に変化無し。ジムに来た最初から6キロ減って、その前後で留まっている。ここからさらに減らすためにはさらに運動を加えるか、ジムの時間を長くとるか。また前のように昼は立ち食いそばに戻そうかな。ざるそばならカロリー少なくて済む。体重だけでなく、病気をしないことだ。


  疲れている時にはジムでのトレーニングがきついと感じる。自分の体験では外周りをして歩き疲れた時より会社にいてずっと資料作ったり会議漬けになっている時の方がきつい。バロメーターにもなるのだ。

 


  そんなことを書きつつ、一番やめればいいのは酒なのだけど、こればっかはなかなかねえ。明日から少なくとも3連チャン確定。4連続になる可能性もありか。懐かしい人たちが大挙上京してくるのだ。



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    ということで、ほぼ一週間ほど、多分ブログはお休み。

 

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      キッチン&ベッド

            K.KATOH

 

 

それでもごはんはずっと食べてきたんだ。

 こどものクラスでちょっとした問題が発生しているらしい。かみさんから話があった。要するに人間関係のもつれ、である。


 我が子は超然としているというか、いろいろ聞くとかなりうまく世渡りをしており、その渦中には入ってないようだし、以前自分がそんな話をした時にも「なかなかうまくかわしてるな」と思ったおぼえもあり、大丈夫そうだ。

が、小さなクラスでいくつか同時多発で進行している人間関係のもつれは、なかなか厄介な問題だろうし、親としても心配の種ではある。


 

それにしてもこどもがそれほどうまくすり抜けている、というところに驚く。なぜなら僕はその反対で、まあずいぶんいじめられてきたから。


 

だからなのか、今でもなかなかに人見知りである。できるだけ最初は薄く関係を持とうとするし、自分から積極的に「ねーねー友だちになろう」なんて言えるタイプではない。親しくなれば本音しかしゃべらないけど、そこまで結構時間はかかる。かみさんはすごく「すぐともだちになる」ことが得意(多分それは彼女の努力のたまもの)なので、こどもはその性格を受け継いだのかも。


 

自分の記憶では幼稚園から中学生時代まで、その時々でその内容は変質していたが、基本的にはひどい目にあっている。(もちろん楽しいこともかなりあったけど)。

原因は自分の性格だろう。とっかかりとして、僕はずっと体がでかかったので、それが格好のネタにはなったが、同じ体格でもひょうきんものとして生きている奴もいた。僕はそういうことができなかったから、いじめられただけのことだ。


 

幼稚園の時はそう言ってからかってくる奴をひどい目に合し過ぎ、ついに退園勧告も受ける。僕は2つ離れた駅までひとりで電車通園をしており、すでに「めんどくせえ」と、おばさんやおばあちゃん家に逃げては自発的に通園拒否していた常習犯でもあった。

 

この頃の集合写真、多分卒園記念か何かだろう(結局休みながらも卒園したらしい)、みんながジャングルジムの前で並んでポーズをとっているのに、なぜか僕は後方のジャングルジムのてっぺんに座り、仏頂面している。象徴的な、ある種屈辱的な写真だ。理由らしきものもあって、僕は途中から離れた町から通園しており、その離れた町のほうで悪ガキ仲間ができていて、そいつらとの遊び(蛇を爆竹ですっ飛ばす、気に食わない奴をこえだめに落とす、無名戦士の墓で鬼畜米英ごっこ、かえるの皮むき**:)が楽しすぎて、それに比べて幼稚園児達ときたらみんな童貞と処女の集まりみたいに思え、ちっともおもしろくなかったからだ。

 

小学校1年は反動なのか、とにかく泣き虫。すぐに家に帰ってしまうこどもだった。どうしてだかわからない。なんとなくおぼえているのは、学校のトイレに入りたくなくて、どうしても入りたくなくて、トイレに行きたくなっては走って家に帰っていた気がする。みんなのいるところで用を足せなかったのだ。家に走って戻る途中でうんこ漏らして、この世の終わりを感じたことは今でも忘れない。

 

2年生の時は女子恐怖症。森三中みたいな女子2人組にどういうわけか目をつけられ、「ちんこ見せろ」とつきまとわれた。多分デブのちんこに興味があったのだろう。

それ以上に恐怖だったのは「私のも見せるから」と追いかけられたことだ。これはトラウマになってもおかしくない(いや、なってるのかも)ほどの恐怖だった。このふたりが待ち構えているかと思うと学校に行きたくなかった。

共働きの家だったので鍵は持たされていたから、学校へ行くふりをしては近所の公園のたこ滑り台に隠れ、家に舞い戻ってさぼっていたりもした。親との関係もぎくしゃくしていて、特に父親が大嫌いだった。親の金をくすねたり、友だちの家からおもちゃ黙って持ち帰ったり、永久歯を3本石で割られたのもこの頃だ。なかなかナイスなガキだな。ウルトラセブンとゴジラが世界のすべてだったような気もする。


 

恥を言ってしまえば結局この女子2名とは3年生の春、ゴミ焼却炉の裏で見せあいっこはしてしまった。ええと、さわり****(自主規制)。

どういうわけかこの後、夏休みに僕が転校すると、この二人から競うように手紙がひんぱんに届き、これまたどういうわけだかすごく好意を寄せてくれているのだ。「東京に行ったらまた会えるかな」とかぬかしやがってるので、こちらとしては「冗談ではない」で、ある。だって森三中で、ある。もちろん、それ以来二度と会ってないし、顔も名前も声もあそこもすべて忘れてしまった。かよ、という名前だけは憶えている。 (憶えてるじゃん!!!)

 

小学3年生の夏、親友の家だけが豪雨で流され(どんな親友の家やねん!!!答え・・バラックです。当時はまだ極貧チルドレンはいたのです)、失意を胸に僕は引っ越し、今度は転校生としての洗礼を受ける。

 

それまで僕が通っていた学校は下校時に男女が手をつないで家の近所まで帰る、というのが決まりになっていた。ので、転校してすぐ、図書委員(僕はすぐこれになった。ひとりで図書室にいるのが大好きだったからだ)として一日の役目を終えたあと、帰る方向が一緒だったモトヤマさんという女の子の手をにぎり、つないで帰ったのである。

確かにモトヤマさんの挙動はおかしかったが、翌日、黒板にドラマで見るような例のやつが描かれ、みんなにはやしたてられてしまい、モトヤマさんは当然のように泣き、僕はエロの称号を得る。

決定的だったのはここでこれを書かせたクラスの番長格のふたりとあいついで喧嘩をしてしまったことだ。で、4年生まで完全にはぐれもの。まあ大人しくしていた。

 

学校のお抱え文具店でハトヤという店があり、ここの親爺が先生にはへいこらしてるのに生徒にはえらそうなのがなんとも腹立たしく、当時流行っていた五木ひろしの「待っている女」の替え歌を作った。「暮れゆく町灯り ハトヤは待ってる ああ 客は来ねえかな ああ 今日も来ねえのか このままじゃ つぶれるよ ハトヤはおだぶつ」といった、名曲である。で、これがまた流行ってしまってババババン。みんなが歌いながらハトヤに行くものだから、くそ親爺が文句を言いにきた。しかもこの歌詞の2番が「暮れゆく町灯り ハトヤが燃えてる」と、このあと僕の作った歌詞ではハトヤは燃えてなくなってしまうのだが、何と、本当にハトヤが火事で燃えてしまったのだ。断じて僕のせいではない。あの歌に呪いなんてかけてない。信じてくれ。   (ハトヤ事件)

 

また、市の絵画コンクールで僕が描いた絵が銀賞だかを受賞したのだが、その内容はよく親爺に連れて行かれた(というより親爺を迎えにいった)モツ焼き屋の情景を描いたもので、なかなか良い哀愁のある絵であったが、この名作をみんなの前で「こどもはもっとこどもらしい絵を描きなさい」と言った先生に泣くことで抗議した事件もあり、クラスの連中からは「なんかあいつ変」と距離を置かれてしまった。 
(モツ焼き屋絵画事件)

 

この頃から誰も遊んでくれなくなったので仲雅美の「ポリシュカポーレ」や尾崎(笑)の「また逢う日まで」なんぞをはなうたりつつ、休み時間も授業中もノートにオリジナル戦国小説なんぞを書きだしたのだが、それが少しづつクラスのみんなを虜にしていったのだ。


 今でもこの時のノートは保存してあるが、相当バカでキテレツな内容だ。主人公の名前がいきなり羽柴信康だから。

おけはさみの合戦では桶に乗ってすべってきた奇襲軍に、今川焼軍が全滅する、といった具合。でもこの世にもくだらない小説が僕を救ってくれた。毎時間続きを読ませろと僕のまわりに人が集まり、僕は得意げに語って聞かせる。それが続くのだ。番長たちには意地でも聞かせないし、向こうも近寄ってこない。が、その内のひとりがそれを単行本化(単に1冊ノートが終わっただけ)した時、こらえきれなくなって白旗を上げた時は本当に快感だった。


  でも僕の身代わりに、僕が学校に持って来ていたMY亀(持ってくんなって!!!!!)(比喩にあらず。本物)の、甲羅のところに千枚通しのようなもので穴が開けられていたのだ。僕はその姿に涙を流し、逆上した。犯人はもうひとりの番長、ブタローに違いない。「てめえ、ふざけんな!俺の亀に何してんだよ!」「知らねえよ、おまえの亀のことなんかよ!」「絶対おまえだ!俺の亀にあやまれ!手ぇついてあやまれーっ!」「何だと」と、亀をめぐる壮絶な戦いが・・・。

 

というわけでいろいろあったものの、小5~6年生時代は特に波風立たず、映画とPAUL SIMONやカーペンターズ好きの親友もでき、平和だった。

 

ところが中学に入り、また一変する出来事が。結構しゃれにならないことで、要するに僕はともだちをかばって、上級生の不良に喧嘩を売り、3人の不良から執拗な攻撃を受ける立場に追い込まれてしまったのだ。

この時の、ひとりで町や校内を歩きつつも周囲にピリピリ神経をはりつめた感じは今でも思い出すとえづきそうになる。よく死ななかったなあと思う。いや、一度だけ誰もいない自宅で「もう死にてえ」とも思ったことはある。地獄だった。

 

何より辛かったのは、学校の渡り廊下で3人にボコボコにされている時、僕がかばったはずの友だちが(まあ恐怖で動けなかった、というのも今となればわかるが)何もしてくれず、また他の仲間の誰ひとりとして助けには来てくれなかったことだ。遠巻きにしながらにやけていた奴もいた。

 

結局僕を救ってくれたのはともだちの女の子だけ。この子が泣きながら先生を呼びに走ってくれたのだ。その後も、クラス内から、「不良の仲間だからやられたんじゃねえの」的な扱いを受けつつ、逃げてしまったともだち(もう僕とつるもうともしてくれなかった)、不当に僕だけをしかりつけ、その後もねちねちといびり、テストで90点をとったにもかかわらず通信簿で2にしたり、母親を何度も呼び出し「てめえの息子の態度が悪い」などと注意を繰り返した教育指導主任の渡辺!などに日々傷つき、恐怖感と緊張感から逃げたいというのもあって、ほんとうに死にたくなったものだ。  

 

 渡辺にたんかをきった母親、ずっと心配してくれたともだちの女の子(残念ながらついに彼氏彼女の関係にはなれなかった。)、問題回避に全力をつくしてくれた東先生など、助けてくれた方たちがいてくれたことで、何とか立ち直ることができた。3人組もまるでおもちゃに飽きた様にある時期を境に干渉しなくなったこともあり、その後急速に僕は立ち直ることもできた。

 

今度の救いは音楽と少女漫画だった。それに優しかった女の子たち。男の野蛮な世界なんてうんざりだった。

 

とてもピアノが上手でJAZZに出会わせてくれたともだちの女の子(憧れ、くされ縁。なんとなくいい感じになりそうなタイミングがあったような気もするが、結局何もなかった)と、それから僕を救ってくれたTULIPファンの女の子(女の親友だったが、僕が自爆、以後気まづくなる。本当に仲が良く、うまくいくと信じていたのに、女ごころはわからないものだ)と、「一時期のともだち」以上の関係にはなれなかったけど、彼女達が与えてくれた新しい世界はとても美しかったし、今でも僕の真ん中にある。

やがてできた男の親友からはプログレを中心とするROCKを。これもとんでもなく刺激的でおもしろい世界だった。

 

結局人間関係なんてどう転ぶかわからないし、出会うべき時に出会える人からは多くのものをもらえてる気がしてならない。いい人たちに巡り合えて、幸せだったと思う。

 

嫌なことはほぼ忘れる。

  一時期あれほど恐怖を感じた不良たちの顔も、森三中の顔も、渡辺(こいつだけは微妙に憶えてるのがしゃくにさわる)の顔も、亀で争った番長の顔も、それから僕を裏切ったともだちの顔も、本当に忘れてしまっているというのに、女の子たちの顔、東先生の顔、プログレともだちの顔は今でもはっきり覚えているし、多分これからも忘れないだろう。

 

でも家流されたともだち、すげえ親友だったのに、あいつだけどういうわけだか思い出せない。

 

今でも、多分これからも人とは微妙な距離感を置きながら、親しくなった人には過剰な思いを抱き続けていくだろう。それが僕のやりかただ。

 

こどもには・・・本当に彼女が人間関係で苦しんだ時などに、そんな昔の話をしてみようかなと思う。もちろん何かを説教じみて伝えるのではなく、あくまでも僕の経験として。その時の僕が彼女にとって信頼に足る人物であればきっと僕の話から何かをくみとってくれるはずだ。

 

 BGM
             
ごはんができたよ

              AKIKO YANO

 

夜の散歩をしようかね。

 窓に君の影が ゆれるのが見えたから

 ぼくは口笛に いつもの歌を吹く

 きれいな月だよ 出ておいでよ

 今夜も二人で 歩かないか

 

 窓を開けて 君のためらうような声が

 ぼくの名前呼んで 何かささやいている

 きれいな月だよ 出ておいでよ

 今夜も二人で 歩かないか

 今夜も二人で 歩かないか



           忌野清志郎 詩

 

201011101949000



     春の月には誘惑されるが、秋の月もまた捨てがたい。

    二人での散歩なら なおのこと。

 

 BGM

     夜の散歩をしようかね

              RCサクセション

 

Tante belle cose

何があっても、たとえ昨日も、明日も信じていなくたってまず、「今日」は信じよう。思いのままに、今日の自分を大切にしよう。

今日がおもしろくなくて、人生なんてちっとも楽しくなんかないさ。

Tante  belle  cose

(あなたに、きっと、たくさんの、いいことがありますように)

  さよならの挨拶の意味にもこめられている、こんな、イタリア人の考え方が僕は大好きである。今日を楽しもうではないか。

 

今日、仕事でかなりお世話になった方のお通夜に伺った。いつも優しかった顔の写真が祭壇に飾られていて、やっぱ顔見ちゃうと泣きそうになった。

 

健康のありがたさと、家族への思い、友人たちへの思い。仕事や趣味や生きることすべてについての感謝。

 

今さらながらそれらのすべてに、今日、思いを捧げ、頭を垂れる。

 

本当にありがとうございました。ゆっくりお休みください。

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