食べる人(食べ物雑感)

蕎麦にも段々があるんでぇ その②

で、来ましたよ。

  平穏な夕方、黒づくめの威勢のよすぎる集団が。決してうちの店はそういう店ではなかったし、経営者も違ってたんですが。


 まずは段々の底組が入ってきて、「来たど~!」と叫び。

するとちょっと貫禄がありそうなのがひとり入ってくると瞬時に席を確認。すぐにワタクシに向かって、「おう、今から席直すど」と丁寧に表明され、底組を使いつつ勝手に席とテーブルの配置をお直しに。

  何度も言いますがワタクシ、馬鹿で若くて正義感もすこし強いので、そのちょっと貫禄ある剃り込みパンチに「あの、そう並べられると蕎麦をお運びできないんですけど」と、言ってしまったり。



 底組、いきなり「はあ~?」と、首を前方出し。あああ、またやってしまった。

しかし意外なことに剃り込みパンチ、「それもそうやな。おお、元に戻せ」だってさ、プッ!

 底組、また席を直しはじめる。「おまえのせいやど!」と言いたげな目がワタクシを突き刺します。「おやっさんは座敷に上がるから、席は変えんでええんや」だったらなんであんた一度は変えたんや?


 その隙にワタクシ、準備。

 威勢のよすぎる人というのは大抵「ちょっと無理なこと」を通すことに生き甲斐を感じている。「おしぼりが普通ひとり1本なら2本」「(夏だったので)お茶はキンキンに冷えたものを用意する」「しかも決め手は氷の量なのだ」てなこと。各テーブルの上に人数分より多いおしぼりを山にして配置。氷をたっぷり入れたお茶の瓶も置く。グラスとおちょこも適当に置く。椅子はひいておく。

 ワタクシがそれをやりはじめたら「おう、手伝わんかい」と剃り込みパンチが言って、底組がワタクシのまねを。

 そうしてる間に重鎮クラスがベンツから降り、店に向かって歩いてくる。
 すると先の連中と、小走りに来た連中とが入口に整列。ワタクシ、予想外に整列の先にひとり仁王立ちしながら、入口から入ってくる威勢のいいおじさんと差し向かい状態。


 普通のおじいさんが入ってきたと思ったら、その方が一番位の高い方でして、剃り込みパンチが「おやっさん、座敷へどうぞ」と腰をかがめ手をかざすと、「いや、わしは足しんどいさかい、こっちにするわ」と、あっさり入口脇一番下手のテーブルに座ったのである。

  ああ、そこは末席だよ!一同一瞬にしてパニックになる。いつもくる、とても威勢のいいおじさんが「ボケ!葬式のあとや。気ぃつかんかい、ドアホ!」と言って、思い切り思い切り剃り込みパンチをしばく。うん、確かに葬式も精進落としも座敷だったろうし、足は窮屈だっただろう。かわいそうなパンチ氏。


 次々に重鎮から先に末席に座り始めるということに。座敷はなぜか誰も座らない。おじいさんが座らない以上は座れないのだ。

3つしかないテーブルの末席にはおじさんとそれを囲む重鎮4名様。2番目のテーブルには剃り込みパンチも含めた、ちょい重な人たち6名様。そして3番目のテーブルはまるでインドのバス状態。10名様。


 「いらっしゃいませ」と言いながら重鎮席へ熱いお茶も持って行くと、「おまえよう気いつくやんけ」とおじいさんの隣の人から声かけられる。いつものおじさんから「おう、すまんな。とりあえずビールと酒、あとはつまみ適当に出してくれや」と頼まれる。


 もちろん若くて馬鹿だけど仕事はできるワタクシ、板場に「すぐ出せるもの」(気が短い方が多いので)「値段が高いもの」(威勢のいいお金の使い方にロマンを感じる、もしくはメンツが立つことに喜ぶ)を多めにオーダーしつつ、ビールと冷酒の蓋をぬく。底組がどんどん運んでくれる。

 板わさ、漬物、なめこおろし、じゃこおろしなんかをすぐ用意してもらいつつ、矢継ぎ早に出す。「熱燗つけましょか?」「おお、頼むで。」待たせることなく、酒もつまみも用意。乾杯があって、酒盛りが始まる・・。

  とよく見たら飲んでいるのは末席の人たちだけ。???他の人は目の前に酒も肴もあるがじっと我慢している。5分くらいしてようやく許しが出て、10名様も食べ始める。


 やがてしめの蕎麦の時間。呼吸をつかんだワタクシ、剃り込みパンチ氏に「どれがあの方のご注文でしょうか?」と聞いたりして。しかし意外なことにパンチ氏、「ええから、できたもんから持ってこいや」と。

言われる通りにしたところ、哀れなことに10名様の前には湯気立ち上るきつねそばやかけそばが並ぶものの、上の方の天とじ蕎麦がまだできない。

4名様の前にお盆付きの天とじ蕎麦が並び、それをある程度食べてからようやく許しが出たものの、その頃には蕎麦はすっかり伸びていたのであった。

 

 BGM

       See  Emily  play

                 Pink Floyd

 

蕎麦にも段々があるんでぇ。  その①

まだ前座だった頃のある落語家の話。

 

演芸場の裏手に変哲もない蕎麦屋がありまして。寄席がはねると師匠が「ちょいと行くぞ!」と、前座たちを引き連れ其処へ。いつだって腹をすかせている前座たちのこと、大喜びではありますが、すぐにはありつけない。

 

 まずは師匠方がビールと板わさなんかで喉をうるおす。漬物なんぞ出てくりゃこいつは熱燗だってことでしばしゆるりと酒のお時間。

 

それが終わるとようやく許可が出て、いつものやつにありつけるってわけで。もりそばと玉子丼。これっきり。師匠たちはそれを横目に天種なんかをさくさく食べてはしめの蕎麦をたぐってる、という塩梅。

 

 そんでもって前座たち、懸命にこづかいを貯めまして。師匠たちが決して前座を引き連れていかないような名店へと凱旋。がん首揃えてえらそうに。「天ぷらそば!」と威勢だけはいいが柄でもなし。背伸びの極み。

てことで蕎麦屋名店の主、「うちはなあ、前座に食わせる蕎麦なんざ置いてねえ。二つ目になってから来な」と、追い払う。

 

 さあ悔しいのってなんの。一同紛糾しつつ、結局はいつもの変哲もない蕎麦屋へ行って、ここでも性懲りも無く「天ぷらそば!」。


 案の定親父がすっ飛んでくる。「いつものやつじゃねえのか?」と念押し。前座たち、腹立ちまぎれにいきさつを話すと、それを聞いた親父さん、「よし、じゃあ出してやろうじゃねえか」。

 

 こうして天ぷらそばにありつけた前座衆。さて帰る段になると、店の親父さん、こう言ったそうで。



 「お代はいらねえよ。真打ちになってくれりゃあ、そん時払っておくれ」


 

 なんだか「一杯のかけそば」のような話ではありますが、冒頭の、前座と師匠たちの様なシーンは実際ワタクシ、見ておるのです。



 あれは蕎麦屋でバイトをしていた頃の話。


  夕方、一本の電話で板場が凍りつく。

  店の常連だった威勢のよすぎるおじさんからの電話は、要約するとこうなる。



 威勢がとてつもなく良かった仲間が威勢のいいことで死んだ 
 威勢のいいおにいさん、おじさんが集まってお弔いをした  
   とりあえず精進落としはしたが  
 うちの群れの一番威勢のいいおじいさんが蕎麦屋で休みたいと言いだした 
 だから今から行く   
   威勢のいい群れが20人くらいで行く  



 ホール担当はワタクシひとり。いたいけな学生でしたが既に威勢のよすぎるおじさんとは旧知の間柄。何とワタクシ、その少し前に事もあろうにその威勢のよすぎるおじさんが連れてきた、客人で旅の威勢のいいおじさんの難癖にきれて喧嘩をふっかけてしまったのであります。

   いやあ若さというのは無謀なもので。



  しかしこの一件があって、不思議なもんでこの威勢のよすぎるおじさん、なぜかワタクシを「おもろい奴ちゃ」と。ワタクシも馬鹿ですから時々はこのおじさんに「アホですね」とか突っ込んで、そのたび「何じゃと」と、本気で光る目の恐ろしいことと言ったら。


  このおじさん、実は重鎮だったようで。いやあ無知とはすごいですねえ。


   つづく

昼蕎麦入谷、夜海坊主新宿。

入谷で商談があり、時間合わせで昼蕎麦でもつかおうと入った「松月庵」という、町の普通の蕎麦屋がいたっておいしかった。


   池波氏の影響もあってか蕎麦屋呑みする人が多くてその分驚くような値付けなんかされてたりする店もちらほらあるが、ここはそういう店ではない。おっちゃんおばちゃんがやっているような蕎麦屋だ。


  されど場所柄浅草や河童橋に近いということもあるのか、外面とは大違いのなかなか渋めの店内には白髪まじりの、いかにもご隠居といった人が差し向かいで板わさなんぞを食べている。ただし日本酒は16時以降、という制限があり、昼の時間はビールなら大丈夫らしい。板わさも250円という、かなりお値打ち価格。まあ盛りつけなんかもそっけないし、そんじょそこらの板わさなんだろうけど、それでいいじゃないか。

 とはいえこちとら仕事中につき、そこはぐっとこらえて、昼の定食を。今日のおすすめはもりそばとカレー丼のセット。

この、蕎麦屋のカレー丼っていうのがいいのだ。グリーンピースなんかのってるやつ。とろみがたまらないの。750円。


  まったりした空気を感じながら待つほどもなく登場。予想外に蕎麦も丼も盛りが多い。しかも小鉢(昆布と水菜のおひたし)、お漬物まで付いている。蕎麦は何とちゃんとした二八である。ここは十割蕎麦もお品書きにある。カレー丼は予想通り、蕎麦屋のカレー。うまい。


  
  学生時代に京都の蕎麦屋で結構長くバイトしていた頃、蕎麦にすごくはまった。最初は桂、次は祇園と、それぞれ別の蕎麦屋でそれぞれ2年づつ働いたのだが、実を言うとどちらの会社からも「店をやらへんか」だの「うちに来いひんか?」だの強く勧誘されたのだった。調理師免許も本気でとりにいこうかと考えたりもした。

   それ以上に蕎麦や祇園の仕組みみたいなところに興味が湧き、かなりのめり込んでいて知識や言だけはいっちょまえに立つようになっていたから、大学出の社員としてはぜひとも遇したい、といったような塩梅。ただ、桂の会社は元をただせば違う国の流れの会社だったし、祇園のほうはかなり同族的な会社。水商売だからそれなりの事情はある。そんなこともあって正直まったく考えなかった、が本音。


  出石、出雲、越前、長野、篠山、戸隠、長坂、郡上八幡。休みのたびに車をとばして蕎麦を食べに行った。京都の有名どころはそれなりに押さえた。特にライバル店ひしめく祇園界隈は当時あった店はほとんど網羅した。本格的にはまっていたのだ。


   調理師免許もないが店では蕎麦もこしらえていた。正確にいうと蕎麦と饂飩。天ぷらの揚げ方も教わった。ただ、これはなかなか難しい。職人さんでも出来の悪い日もあるくらい。

   前も書いたと思うが、この蕎麦屋のバイトは本当に性にあっていたんだろう、楽しかったという思い出しかない。

   職人さんたちの世界は確かに小さくて、狭い了見のつばぜり合いみたいなことがうんざりするほど多いのだけど、みんなつながり方はガチンコだし、腕が全てだという明快さもあって、気分は良かった。大晦日の一体感とか、仕事終わって夜明けまで続く「反省会という名の単なる打ち上げ」も病みつきになるくらい楽しかった。


  ま、前も書いたけど、元々学校や幼稚園にすらもうまく適応できなかった僕にとって、つまりは大勢の集団の中にいることがどうやら苦痛な僕にとって、これくらいの小さなところ、というのが大変居心地が良かったわけですな。


  ところでこの日は夜、仕事呑みの予定があり、新宿へ出ると花園神社の祭り。

  さすが新宿は花園神社。屋台の呑み屋に海坊主たちがあそこにも一人、こちらにも一人。濃いなあ。さてとどこに連れて行くかな。日本酒の気分だったが、海坊主みてたらなぜかルービーが呑みたくなった。それにしても激混み。


  群衆の中、とりあえずライオンあたりに見当をつけつつ、待ち合わせ場所へ。

 

 BGM

     sobaya

               MIYUKI  NAKAJIMA

 

 

 

 

ワインと、ガリと、サーファーの彼女。

 ゆっくりとした速度で台風がやってきている。

 

  学生の頃、台風が来ると喜び勇んで車を走らせる友人がいた。サーファーだった。と、時節柄いきなりそぐわない話題ではじめてしまった。

 

 そいつの彼女と、どういうわけかふたりで晩御飯を食べにいくことになったことがあって、西灘のお嬢さんだったので、正直ファッションもふだんの行動も個人的にはゴメンナサイな人だったが、なぜかそうなってしまって、今でもおぼえているが心底困り果てた。楽しくなるはずのない晩御飯だから適当にさっと食べて帰ろうと思っていた。

 

 大学のある駅から阪急電車に乗って、西宮北口あたりで食べて解散しようと思っていたら、岡本まで行こうと、先に言われてしまう。岡本に着いたら今度は駅前でタクシーをつかまえるとどこかの場所を言う。面倒なことになってきた。とんでもない店だったら俺はどうしたらいいのだ。

 

 おそるおそる車の中で彼女に「何の店なの?」と聞いたら、涼しい顔で
「お寿司屋さん。」
 と答えられ、血の気がひく。あたら20歳の学生にとって、車で乗り付ける寿司屋など、太刀打ちできるものでもない。このまま引き返したくなったが、そういうわけにもいかない。

 

 はたしてたどり着いた寿司屋は閑静な住宅街の中にぽつんとあって、どう考えてもケタが違う感じである。

こちらが逃げる隙も与えず、彼女はさっさと店に入ってしまう。

しかたない。腹をくくるが財布の中には5000円くらいしかない。どうしようもない。おごるなんて無理だ。寿司2つくらいを40分くらいかけてつまんで帰るしかない。

 

 お嬢さんが凡人の理解を越える存在なのか、それとも彼女が特別なのかわからないが、常連さんらしき彼女はワイン!をさっさと頼むと、僕の分のグラスも用意し、すると店の人も勝手知ったる何とかなのか、目の前に「ガリ」を尋常ではない量で積み上げる。彼女はあっという間にそれをばくばく食べてしまい、ワインを呑む。するとまた彼女の前に先ほどと同じくらいの「ガリ」が。このように彼女はただひたすら酒を呑み、ガリを食べ続けるのだった。

 

「うち、ここのガリ、大好きやから。***くんはお寿司頼んだらいいやん」と、強いプレッシャーまで俺にかけてくる。板さんの目もキラッと光る。

 

それでも俺もじらすように「そんなにおいしいんやったら・・・」とか言いつつ、ガリを食べる。うま!何これ、うますぎるやん!「そやろ」と、今日一番の笑顔で彼女が楽しげ、である。俺も心の中にふつふつと黒い計算が湧きあがり、「ほんまにうまいやん!これと酒あったら何もいらんなあ」と巧妙な作戦を開始する。

 

そのようにしてふたりはデキャンタを2本空け、ガリをひたすら食べ続ける。40分ほど経ったころ、板さんが「巻物でも作りましょうか」と声をかけ、俺はこの日一番緊張したが、彼女はあっさりと「もうおなかいっぱいやわ。***くん、頼んだらええやん。」と、さらに俺にプレッシャーをかける。

 


「いや、俺も結構きてるわ。すんません、お勘定してください!」

素晴らしすぎる。思ってもいない展開だ。一瞬俺はこのボンビーな俺を憐れんだ彼女が気をつかったのだと錯覚しかけた。が、次の瞬間、俺は奈落の底に突き落とされる。「家のほうにつけといてください」「あいよ!」・・・・

 

はう?

 

「いや、俺も呑んだ分払うし」「ええよ、うちが出すわけじゃないし。それにしても一回男の人がどんだけ寿司食べれるか見たかったんやけど。意外に小食やねんね?」・・・俺は人体実験用だったか!

 

と、こうして実に奇妙な晩御飯は終わり、店からそのまま丘の上の邸宅にタクシーで帰る彼女を見送り、俺は20分かけて岡本の駅まで汗だくで帰り、駅前の「王将」で400円の天津飯を食った。すこぶる美味かった。

 

トラウマになったのか、俺は今でも回転寿司に行くと一般人より大量にガリを摂取している。そんな体にしたのはあの夜の、彼女のせいだ。

味も忘れてしまった、あのガリ。結構真剣に食った、あのガリ

 

彼女は卒業してしばらくテレビにも出ていたが、しばらくして姿を消した。

多分外国に語学研修とかに行って、多分ITの人と結婚かなんかしたんだろう。ま、俺の推測だが。

 

 BGM

            Ordinary people

                     John legend

 

 

たぬきつねぎなんばのっぺいけいらんかも。

今日は基本的なことについて書くことにする。


 東京の人は大阪の人間が意識するほど、大阪のことについて興味を抱いていないので、案外詳しい事を知らずにいる、ということのひとつについてだ。



   本日書きたい基本的なこととは、「たぬき」と「きつね」について、である。


  関西の人間でこの違いがわからない人間はそれほどいないと思うが、東京の人はよく把握していない。もっと言えば「鴨なんばん」のこともわかっているのかどうか怪しいところもある。

  僕が慣れ親しんでいる鴨なんばはやはり京都風のもので、昆布だしに薄い鴨肉、九条ねぎに削り鰹、の蕎麦ということになる。いい加減な店では鴨肉を使っていないものを鴨なんばと称して売ってたりするから、ひどいものだ。



  東京では「鴨南蛮」だが、関西では「鴨なんば」である。略して「鴨なん」というのはおそらく共通言語。一部通説に、昔大阪ミナミのなんばあたりはねぎの一大生産地で、そこから大阪では鴨なんば(鴨難波)と言うようになったというものがあるが、眉唾ものである。それ以前に関西では広くねぎを使った料理の呼称として「南蛮煮」というものがあったからである。ポルトガル人が玉ネギの代用品として長ネギを使って料理を作り、それらの料理に一応に「南蛮」の名称がつくことになった、というのがどうやら正しいようだ。おっと、南蛮の話ではなかった。



   基本的なことについて書く。
僕は関西では断然京都人に属する。決して大阪人ではない。

 これは特に関西の人に対する時は覚えていてほしいことである。関西人とひとくくりにしてはいけない。シンプルにいえば大阪は独立国。万城目「プリンセス・トヨトミ」は正しい。京都と兵庫(正確には京都市と神戸市)は親和性を感じつつ大阪に対峙している。他、各県ごとの思惑も入り乱れるが、これ以上は書かないことにする。



  それを基本において関西を見つめ直していただきたい。言葉も違うし、物事への対応や人間関係の作り方、冠婚葬祭、伝統行事、学校制度、いろんなことがかなり違う。



  脱線しまくったが、さて、「たぬき」である。


  「たぬき」とは天ぷらの「たね」(=中身)抜き、から来ているから、語源的には「揚げ玉」が本流。東京では蕎麦でもうどんでも「たぬき」といえば「天カス」「揚げ玉」が載っていることになる。(ちなみに関西では「冷やしたぬき」は基本的に無い。僕は埼玉に住んでいた頃これが大好きで、夏ともなればしょっちゅう食べていたわけだが、大学で京都に越した途端、どこの蕎麦屋にもこのメニューがなく、愕然としたものである。まあ、家で簡単に作れるけどね・・・。しかもさぬきうどん店にいけば「ぶっかけうどん」でテーブルの天かす入れればいいのだし。かまぼこと刻んだキュウリは入らないのよね・・・)



  よく誤解されるのだが、関西では油揚げの載ったうどんを「きつね」(または「けつねうろん」・・・まあ今時そう注文する人はそういないだろうが。また大阪南部では「しのだ」と言う場合もある)と言い、その蕎麦を「きつねが化けたもの」だから「たぬき」と言う、ということである。つまり関西には「たぬきうどん」も「きつねそば」も無い、ということである。



  誤解である。以上のことはベタな大阪での出来事である。


  大阪の、といっても大阪にあるすべての和式麺類製造およびその加工販売業者でそうだ、というわけではない。そこの店主がどこで修業したかによって違うからだ。かつて祇園ならびに桂のうどん屋で長い間労働した僕がそこで見たのはこの業界の一子相伝性であった。師匠の流儀が弟子のセオリーとなる世界なのである。大阪のど真ん中に店を開いていてもそこの店主が京都で修業した人なら京都流のうどんを出すことになるのだ。



   そう、京都や滋賀では「たぬき」といえば葛あんがかかった「きつね」である。もちろん蕎麦でもうどんでも構わない。ただし早合点してはいけない。ここで言う「きつね」は「きざみ」のことである。なんだか清水義範のようになってきたぞ。



  「きざみ」とは油揚げを細かく刻んだもの。甘く煮つけてないものだ。これと九条ねぎの組み合わせが「きざみうどん」「きざみそば」または「きざみ、うどんで」と言う。それの餡かけが「たぬき」である。

  ちなみに甘い方は普通に「きつねうどん」「きつねそば」と言う。


  京都には餡かけ文化があり、この「たぬき」もそうだが、普通の、生姜が載った「あんかけ」の他にも卵とじのあんかけを「けいらん」といい、京都ではポピュラーな食べ物である。冬など体がポカポカと温まって言う事ない。

  京都の正当「あんかけ」はシンプルに生姜のみであり、ネギすら入れない。これを「のっぺい」と呼ぶこともあり、店によってはネギ無しを「のっぺい」、ネギ入りを「あんかけ」などとしている店もある。おお、さらに話がややこしくなっているぞ。



  もちろん懐石料理の流れなんだろうが、京都では他にも湯葉やきのこ、梅などの餡かけものもあり、こうなると何でも有り、なんである。何でもありすぎて普通に「しっぽくうどん」を頼んだのにすでに餡がかかっていた、なんていうのもある。



   実は金沢という土地も京都の料理界とは双子のような関係なので、金沢でも餡かけの「たぬき」が食べられたりする。このあたり、物資や技術の流れがわかるんで、非常におもしろい。



   天かすの載ったものを京都では何と呼ぶか?だが、これは「ハイカラ」である。

  うどんでも蕎麦でも同じ。「きつね」の蕎麦を「たぬき」と呼ばない関西圏ではおそらくみな「ハイカラ」と呼ぶはず。ただ、立ち食いそば店などや庶民的な店ではテーブルに置かれていることが多く、そうなると「ハイカラ」はメニューには存在しない。普通の「かけ」を頼んで勝手に入れてね、という具合だ。



 という、基本的なことを書いてみた。どうでもいいことだが、書いてみたら、すらすら書けた。



  ところで僕は京都の「きざみ」が大好きである。関西はとにかく「お揚げさん」と「さん」付けするくらい油揚げを崇拝している土地柄だが、京都の豆腐はとにかく美味くて、ゆえに油揚げもすこぶるうまい。スーパーで売っている油揚げを想像してはいけない。罰が当たる。

  その厚みのある、滋味あふれるお揚げさんとしゃきしゃきの九条ネギ。さばやうるめ、全体を包み込む優しい昆布の出汁。山椒の風味。その「きざみ」、うどんやそばももちろんうまいが、これをどんぶり飯にかけると「きざみどんぶり」(または「きつねどんぶり」、略して「キー丼」)となり、こいつがまたすこぶる美味し!




  最後に。京都には多くの旅人が訪れる。そういった人の多くは結構ぜいたくな店に行ったりする。そういう店では怜悧な京都人サーガを発揮して「しょーもない」ことを加えて代金を釣りあげている店も少なくない。

  シンプルな生姜だけを乗っけた「のっぺい」500円が一番美味しいし、京都人にとってソウルフードなのに、あえてそれに湯葉やきのこ(と言ってもせいぜいしめじ2本とかレベル)、お麩なんかをちりばめて適当に「はんなりうどん」とか古都らしい名前を付けて1000円くらいとったりする。またそれを食べた旅人がそのはんなりうどんを京都の定番みたいに広めたりして、そのうち妙な力を持ち始めたりする。そんな店は大抵もっと極端な金儲けに走り、その内お客さんをないがしろにするようになる。



  だから京都に限らず、観光地に行ったら基本的に地元の人が行く場所に行くべし。そのほうが懐にも気持ちにも優しいと、旅好きな僕は思う。




 BGM

  蕎麦屋

        MIYUKI NAKAJIMA

 

 

人生は野菜スープ。

 時々女房が変わった料理に挑戦してきて、そいつが実に美味い。彼女の話を聞くと参考にしているレシピがあって、

よしながふみの  「きのう何食べた?」   であった。

 

彼女は元々調味料やら素材をわざわざ集めて手の込んだ料理を作る、という姿勢ではなく、それこそ冷蔵庫に残っていたりマーケットで安かった素材からメニューを組み立てるほうが趣向に合っているらしく、彼女が歴代参考にしてきたレシピも「手間」も「食材費」もかからない、というのがポイントだった。

  この点では僕にもまったく異論がない。職人の作るような手の込んだ料理は外で食べたほうがやはり美味しいのであって、家庭料理には家庭料理の王道がある。同じメニューでも外で食べる料理は舌で鼓を打つが、家の食事は胸を打つ。

  心や胸を打つ献立とはシンプルなものだと思う。



 

僕も料理そのものは好きなほうだ。もちろん普段は彼女に敬意を表して(というよりダメだしをされていると言ったほうが正確)台所には立たない。

  時々、彼女が出かけた時などに晩御飯を作ることがあるくらい。所詮僕の作る料理なんてたかがしれてるが、炊き込みご飯やみそ汁、あえものだって作れる。こどもは僕が作る「はんぺんのはさみ焼き」が好きだと言ってくれる。食べるのが好きだから作るのも好きだ。

  直感で思い切って加えた食材や調味料が案外はまることだってある。サラダ用のごまだれといくつかの平凡な調味料でうどんを炒めたらクリームパスタ風になったりして美味しかったり、みたいなことにもつながる。

 


  女房とこどもが里帰りしている間、仕事が早く終わった日にはマーケットの閉店にかろうじて間に合う。惣菜が半額で残っている時もあるが、どうもそれには間に合わない。野菜は土曜日に近くの農家直売所で買っておくから、豆腐とか油揚げ、豚肉なんかをさくっと買って炒めたりサラダにしたり、和風ラーメンなどにして食べる。



   もやしとねぎと豚肉と細かいニンジンを炒め、さっとゴマをふれば、すぐに大好物が出来上がる。まあそんなおかずは毎日続いても飽きない。料理を続けてすると、いかに自分の好みで食材を購入するかわかる。女房は当然栄養のバランスを考えて献立を考えることができるが、僕はひよっこなのでそんな芸当はできない。ひたすら自分の好きな食材ばかり手にとり、結果レシピは違えど同じ食材ばかり摂取するというジレンマに陥る。



  

2年前の夏、ちょうど同じようにひとりで迎えた土曜日、突然

 真夏の灼熱鍋  
がしたくなった。


  暑い日、部屋の窓を全開にしつつクーラーは切って、プロ野球を見ながらキンキンに冷えたビールと灼熱鍋で、汗ダラダラになろうと思い立ったのだ。

  灼熱鍋の中身は自分の好物ばかり。じゃがいもと油揚げ、豚肉、もやし、ねぎ、えのきにシイタケ。鶏ガラベースにごまと胡椒を多めに、仕上げにコチジャン。それをハフハフしながら食べた。


  しかし、ひとり鍋はつまらない。だいたいいくら食べても味が同じだ。もちろんそこは僕も考えてはじめはただの鶏ガラ塩ちゃんこ風にして、あとで辛味を加えたのだが、食材は同じだし、辛味投入が早すぎて結局さいごはうんざりしてしまった。汗はだらだらとかいて人間発電所としては申し分のない仕儀ではあったが、鍋はやはり大勢で食べて、「もうちょっと食べたかったなあ」くらいがちょうどいいのだと、あらためて思った。



  

ちなみに僕はかつて喫茶店のマスターとして、ちゃんとお客に料理を提供し、代金を得ていたことがあるのだ、えへん。

 

BGM

     10CC

       LIFE IS A MINESTRONE

 

到来物。

枝豆がそろりそろりと美味しい季節になってきた。

 

かつてさる会社の方で、えらく枝豆にこだわっておられる方がいて、40分ほどおいしい枝豆についての講釈を聞かされたことがあったのだが、今から思えば枝豆に拘泥する時間があれば部下への気配りをもっとすべきだったのではないかとも思う。きっと豆には興味があっても人はやり過ごされていたのだろう。それもまたひとつの生き方だ。

 


  それにしても豆に限らず野菜はどうしてこうもものが違えば味も違うのだろう。我が家では野菜だけは贅沢しようという方針のもと、少し高いお金を払ってちゃんとしたものを取り寄せているのだが、有機で丹念に作られたものたちはとんでもなく美味しい。枝豆など、感動的ですらある。一粒一粒が歯ごたえがあり、甘くて、時に芋のようにほっこりもして、独特の芳香も広がる。

 



  ゆで上がった枝豆を籠に入れて縁側に出て、昼からビールを呑むという、国民的快楽をしたくてもうちには縁側がない。去年はそれでも2階のベランダで強行したが、洗濯物はためき興ざめしてしまった。今年は籠を小脇に抱えながら近くの竹林にでも行くか。お願いだからやめて。

 


  昼ビールといえば守谷にあるアサヒビールの工場見学


 すべて無料(送迎、見学)にもかかわらず作りたてのビールはタンブラー3杯タダで呑めるし、おみやげにサイダー3本もらえるし、こどもには記念のノートまで。至れり尽くせり。作りたてのビールもまた美味しい。



 

こどもの頃、本気で庭に枝豆を植えたことがある。一晩たてばニョキニョキと伸び、やがて天をつき、自分も雲の上に行けるのだ、と。枝豆とソラマメの違いすらわからぬ、アホなこどもであった。



 

福永武彦の「玩草亭 百花譜」は僕にとって何とも切ない、ある種の若かりし頃の憧憬のようなものが詰まっている大切な本であるが、枝豆は文庫版上巻の25ページにある。信濃追分亀田屋の畑でとれたもの、4本で150円、とある。夏の信濃路の照り返す道が頭に浮かびそうなほど、緑。


 

最近では枝豆はアメリカなどでも大人気らしい。

 

モルダーもひまわりの種じゃなくて枝豆にしとけば、変人扱いされなくてすんだのかも。

 

BGM

   Paul simon

          One trick pony

 

livedoor プロフィール
タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ