ふりかえるな、過去には夢が無い。
そう言ったのは寺山修司だったか。
しかしながら、そもそもこうしたブログなんてもんは「終わったこと」であれば美化しようが客観的な分析だろうが何だろうが、とりあえず済んだことゆえ気楽に書けるというもので、また書いてゆくうちに自分自身が「そのこと」や「あのこと」を整理し直せるという利点もある。本当のことは書いている自分自身にしかわからないことで、そのあたりの演出も含めて表に出せることだけを出すことができる。それらは終わったことゆえに多分それ以上変質しないものだと思うので。
翻って、現状起こっていることなどは書けるものではない。そりゃ言いたいことも書きたいことも山ほどあるけど、そんなことできないし、したくない。それらに対する自分の評価査定が固まってないこともあるし、まだ途上ゆえ今後どう転ぶかもわからないことだらけだから。また関わる人に対しても影響力を行使するかもしれないので、できるだけ避ける。不毛な論争もしたくない。
実は今までも現在進行形で起こっていたようなこと、たとえばどこかの呑み屋に行ったなんてレベルの話まで、極力事柄が特定されないように配慮したつもり。時々は筆がすべってしまったこともあったかもしれないが。
というような気遣いをしながら続けてきたこのブログもいよいよ終幕。
大阪での書店時代、それから東京に出てきてからのいろんな出来事。いろんな意見はあると思うけど、こうして継続して書き続けてきたことで、ひとつだけ言えるのはこれ自体が記録になってるなあ、と思うことくらい。佐原営業の辛さとか、年数が経つにつれ変わってゆく仕事への意識などはわずか数年前に自分が書いたことだけど「へえ」とか思ってしまう。ありきたりな言葉で言えば成長したのか妥協したのかわからないけど、別の地点にはたどり着いてるようだ。韓国での思い出もなかなか貴重な記録となってゆくことだろう。
ともだちと行った呑み屋のことなどは読み返すだけでその夜の空気までもがよみがえる。たとえばいつか東京を離れるような日が来た時、結構大切な思い出として残りそうな気がする。
こどもとのことも将来きっと懐かしく思い返せることだろう。
自分の手元には「読まれることを意識して書いた日記+自分だけが知っている事実」として残るわけだし。変な理屈だけど、パブリックな部分を読んでも俺だけが本当のことを知っている的な「邪悪な楽しみ方」もできる。(ホント、性格悪いな)
いろいろ言いたいことだけ言う割に何もしていないような人が多い中、まあこんなことでも地道に続けてきたことくらいはとりえなんだろうな。
ホント、疲れる奴多いよね。自意識過剰な馬鹿(思考マッチョ)が一番嫌いだ、俺。おっと・・・黒過ぎたか。こういうことを書かないんだったわ。え?俺がそうだって?違うね。
来年は海外にちょっと行ってこようと思っているし、懸案の九州方面もある。映画も芝居も本も漫画も、そして既にお気づきかもしれないが実は僕がマジでこだわりを持つ2大ジャンルの、音楽と食べ物についてもいくらでもネタはある。
絢爛たる笑止千万な「終わったこと」ネタも数知れず。
まあ こっそり書きためていくことにするか。何しろ過去の夢は「山小屋で暮らす物書き」だからな。地道ではあったけどいい訓練にはなっただろう。
だから、振り返った時につかむ夢だってあるんじゃないのかな、と思考マッチョじゃない僕は思うんだよね。
とりあえず、僕が好きな皆さん、いいお正月を。
そうでもない人はどうぞご勝手に。
あ、これアップされてる頃はきっと最後の忘年会の真っ最中かと。
BGM
FILM OF LIFE
10CC