生きる目的を見失ったり、あるいは日々に疲れたりしたら、どこにいくんだろう。

  時々そんなことを考える。

 

どこに行っても過剰な自意識に変わりはないし、また、自分に変化を求めないのであればそもそもどこにいかなくてもいい。場所が変わり、生活が変わり、でも何よりそこで自分を変えようとすることが変わることの意味なので、「どこかに行く」ということは条件のひとつでしかない。


 

それでも「どこかにもっと楽しいことがあるのだ」「あそこに行ければ自分は望んでいた暮らしのいくばくかは手に入れられるのだ」「もっと、もっと、もっと、強く生きたい。もっと、もっと、おもしろいものがあるのだ」・・・そんなふうに思い続けることのどこがいけないのだ、と思う。


 

生まれた時からそんなふうな性分なのだから、自分が付き会わなきゃならない。何もかもがうまくいかなくても、どんなにバカげたことをしても、あるいはどんなに厳しい日々だったり、おもしろくもなんともない毎日だったとしても、自分だけは付き合わなくてはいけない。まわりから人が離れていこうとも。


 

すべての終わりはすべての始まり。


 

22歳の頃、向田邦子の書いたささいなエッセィに、とてつもない影響を受けた。

  それは「手袋を探す」という、向田さんが22歳の頃のことを書いたもので、投稿先がPHPという雑誌だったこともあって、今読めばずいぶん啓発的な内容のように感じる。

  けれど22歳の僕はまさにこの文章の中の向田さんのように「手袋を探す」決意をしていたわけで、「ここに味方がいた!」というような気分になって、嬉しくて、今すぐ向田さんに会いにいって・・と思ったが、向田さんはもはや帰らぬ人となっておられた。


 

そういえば学生の頃は大嫌いだった「北の国から」が沁みるようになってきたのはもう30歳あたりになったころだったか。

  もともと倉本聡は「前略おふくろ様」や「祭り囃子が聞こえる」などで好きだったのに、今度の倉本はガキを使って説教臭いドラマを作るのだと、堕落したもんだとかなんとかいって、見ない側にまわったものだ。




 ところが30歳を越えて、自分自身も転職や家族の問題、おざなりの恋愛の挫折なんぞを経て、何の気なしにみた「北の国から 初恋」と「83夏」で、涙がとまらなくなってしまった。純や蛍にではなく、五郎に思い切り感情移入してしまったのだ。五郎もまた、自分なりのやり方でもがいていて、それがとても沁みたのと、それでも強く生きていく知恵や意思、技術、覚悟を確実に身につけてゆく。その凄さに、心打たれたのだ。

 

手袋を探すのと、五郎のように強く生きていくことは、合わせ鏡のようなことなのだ。今の僕に、これからの僕に、それができるのだろうか。

 


「手袋を探す」は向田さんがくしくも今の僕と同じくらいの年齢の時に書かれた文章であり、それは僕自身も日々思っていることだが、このくらいの年齢で過去の自分ときちんと向き合うことは大切だということを教えてくれる。

 

いまの私にも不満はあります。

年とともに、用心深くずるくなっている自分への腹立ち。

心ははやっても体のついてゆかない苛立ち。

いろんなことをやりたい、とお題目にとなえながら、

地道な努力をしない怠け者の自分に対する軽蔑。

そして、貧しい才能のひけ目。

でも、たったひとつの私の財産といえるのは、

いまだに「手袋を探している」ということなのです。


 

はらだみずきさんの「スパイクを買いに」もまた、再生の物語だ。


 何かを始めることが、いつでもいいことではない、と書いてある。これもまた誠実な言葉だと思う。若いうちでなければはじまらない物語のほうが圧倒的に多いのも事実だから。でも氏が言うように、その人にとって、そのことが探していたことのひとつであったのなら、どこからだって始めることができるのだと、僕もそう信じたい。

 


  何と言われようと、いつまでも僕は青臭く。

手袋を探す。

 

BGM

 TAKURO YOSIDA

    RYUSEI